なんだかんだで3回目。
過去記事は以下から。
都内・神奈川と来て次に向かうは千葉方面。
先の豪雨で千葉より先の各線に影響が出た時は気を揉んだが、どうやらむしろ面白い行程にできそうということがわかり、金を落としに朝一の中央線で多摩を駆け抜け東京駅へ向かう旅程を立てた。ざっとこんなところである。
立川→東京→千葉→成東→横芝→芝山千代田→京成成田→成田→我孫子→龍ケ崎市→佐貫→龍ケ崎→龍ケ崎市→牛久→新松戸→西船橋→本八幡→(新線新宿)→分倍河原→立川
当初は成東から佐倉方面に折り返し、成田山新勝寺でも寄ろうとしたが、そこは断念とした。
雨の多い9月であったが、前日に見ても曇りマークはあれど雨の予報はなし。前日のうちに休日お出かけパスを仕込んだ。
定期券があるとどうもモバイルSuicaには休日お出かけパスは載せられないらしい。ともすると指定席券売機のある駅まで出向かないといけないのでなかなかに面倒である。
前段:東京〜大網
東京駅までくると大抵京葉線に向かうが、今回は反対側。横須賀総武線の地下へと潜りに向かう。




噂の地下階段を下り総武線ホームへ。

8:00少し前の総武線快速、快速ではあったが幾分空いていた。ロングシートの隅に1人ずついる程度で、朝飯に買ったであろうおにぎりだのパンだのを齧り付いてる人がいても誰も白い目で見ない程度の混み具合だった。おだやかである。
錦糸町で乗り換え階段をダッシュで駆け下りるのを見かけもしや?と思っていたら1分もしないうちに総武線各駅停車の黄色い電車が一つ向こうの島のホームに入線してきていた。ライフハックなのだろう。こういうの。
しばらくは先に書いたおだやかさのまま進んでいたが、船橋でどっと人が乗ってきた。こういう人流は意識して見ると生活を垣間見える感じがして良い。おそらくこの辺りからが千葉への生活圏内なのだろう。


千葉で乗り換え。成東へは直通があったが、せっかく周遊きっぷを買ってるが故の途中下車可能を活かすため、上総一ノ宮行で大網まで進むことにした。
発車メロディを流せないことは知っていたが、その代わりとしてスポーツなどで使うような電子笛を乗車促進として使っていた。なるほど…
蘇我到着前に合流してきた京葉線は内房・外房線の間を縫うようにホームがあった。
こういうの、大抵合流する線路が一番内か外に配置されるものの印象があったが、よくよく考えてみれば外房線からの直通もあった気がするのでそれ故なのだろうと自己解決。
大網までは安房鴨川からの帰りに乗った覚えがあるが、よーく見ると結構沿線沿いにアンダーパスだったり坂のある道路がみられた。
先の豪雨はこういうところは災難だっただろうというのは想像に難くないし、沿線沿いの堀割りになっているところの一部にはブルーシートがかかっているのも見えた。
房総半島の背骨の末端部をトンネルで抜けると、大網にたどり着く。
網と聴くと魚をとるそれを思い浮かべるが、地名としてもそれにも多少由来するらしい。



故障停止中になっていた


外房線と東金線はこの駅の時点で泣き別れのようになっており、東金線へは連絡通路を通って向かう形だった。
東金線(大網〜成東)


安房鴨川方面が発着する2番線からは歩道橋のような形で連絡通路が伸びており、3番線側は行き止まりとなっており、千葉方面へは4番線から千葉・成東両方面へ行き来する形。
接近放送どんな感じかなーとか思って待ってたら静かーに列車が到着してきた。
やってきた6両編成はそこそこの人の量を吐き出し、1両に片手で収まるくらいの人数で先へ向かう。
途中に通る求名駅、求めるに名と書くものだから「もとな」と思ってたがこれで「ぐみょう」と読ますらしい。家康がこの地の名を家来に聴くも、具体地名が分からず回答に苦慮したところで名を求めた地、で求名としたらしい。大分適当にも思えるが、まあ時の大将軍由来ならまあいいのかもしれない。実際駅の住所は別名ということもなく、そのまま住所も求名となってるのは、それでいいのか?という気もしなくはないが…
成東〜横芝



成東へは切り欠きの0番線着。
千葉方面へは見合わせ中ということもあり、今度は流れた入線放送から2・3分遅れて到着。
首都圏で聞くようなATOS型ではない場合、遅れは加味されず決まった時間に音が鳴る形なのだろうか…?
当初予定の8割で運転、との情報もあり気を揉んだが、東金線が来た方向を戻るような形で発車しつつ、方角を変え銚子方面へ走り出した。
このあたりともなると住宅街というより畑と草原を縫うようになってきた。
成東始発の列車はイレギュラーだからかLCDも非点灯。
折り返す電車に乗ってた東南アジア系のチャンネー衆は成東で降りて来ず。発車して暫くして来た道を戻っていることに途中で気がついたらしくヤバくね?となってる様子は言葉が通じずとも伺えた。横芝で成東→横芝間を精算。210円。
京成バスイースト(横芝駅→整備地区[芝山千代田])



20分ほど待ち、イオンモール成田行きのバスへ乗り継ぎ。
先の豪雨災害に伴い工程を組み直す中で、路線検索で迂回検索したところ、どうやらこの横芝から芝山千代田・成田へ抜けられると出たこともありこの択を取った。
土休日問わず本数は1時間に1本程度あったので、芝山千代田から抜ける方法としても有意性があるかもしれない。
そこそこの混雑具合はこちらと同じように路線検索で迂回として出されたか、それとも日頃からこうなのかは謎である。
芝山工業団地の中心にバス停があったが、ここは休日乗っただけでは通勤需要は窺い知れないだろう…
山の間を縫うように走り、先に触れた工業団地に向け坂で勾配を上がってからは台地を駆け抜けていき、途中でちょいちょい人は拾っていた。そこそこ需要はありそうである。


地下通路の芝山千代田側の階段前には守衛さんが居たので、多分降りたバスにあそこから一般人が乗るのは想定されてなさそう。
横芝駅側は恐らく関門を通らなくてもバスに乗れる…のだろう。知らんけど。
芝山鉄道(芝山千代田〜東成田)/京成東成田線(東成田〜京成成田)



芝山千代田からは芝山鉄道で京成成田へ。
芝山鉄道がIC非対応のため、ここから京成成田までを支払う形。490円。

新旧2つの券売機があり、旧型は新500円非対応であった。久しぶりに聞く概念過ぎて旧の方に500円が吐かれ、久しぶりにその概念に触れた。設備はだいぶ古いままのが残ってるのだろう…




けたたましい音を立てながら加速した上で、電車は成田空港へ向かう線路と合流。10分ほどで京成成田へ着く。






京成成田→成田は3分もかからない目と鼻の先にそれぞれ位置していた。真勝寺に寄らないことにしたので1本前の我孫子行きにも乗れたのだが、駅の周りくらいは見て駅へ戻った。佐原方面は結局乗り潰せなかったので、またの機会に…
成田線我孫子支線(成田〜我孫子)

我孫子へは常磐線で見るような2色帯の電車へ乗車。これが今走ってるということは昔は103系の根城だったのだろうか。
見慣れた車両の見慣れぬ1ドア以外の扉閉め切りにもビックリした。君それ出来るんだ…
下総松崎までの間にスカイアクセス線の高架を下にくぐる。そびえる風格は新幹線のように見えた。
曇り空の日曜昼、湖北と東我孫子でまとまった乗車はあったものの、それでもまだロングシートには空きがあるほど。立つことを選ぶ乗客もいたが。
関東鉄道竜ヶ崎線(佐貫〜竜ヶ崎)
我孫子で乗り継ぎつつ昼へ。
お目当ては駅そば「弥生軒」。


立ち食いそばではあるのであまり味わう暇もなく客が入れ替わっていくのだが、それでも13時前でもバリバリ大盛況。
つゆが美味いなあというのはかき込むように食べててもわかったし、食べ進めて唐揚げが汁に沈み浸かったタイミングで唐揚げにがっつくとめちゃくちゃ美味かった。なるほど、そりゃ人気なわけだ…

山下清もかつてここで働いていたとのことで、それを示すPOPも店外にも貼られていた。
思ったよりも早くに食い切ってしまい、滑り込んできていた青帯の土浦行きで先に向かってしまうことにした。
土浦行きは龍ヶ崎市で下車。


ここから2駅だけ伸びる関東鉄道竜ヶ崎線へ。



こちらの駅名は当初の佐貫が文字通り貫かれている。
竜ヶ崎線、事前情報としてYouTubeで事前に知ったのだが、どうやら土休日日中に走る編成車内になにやら装飾が施されてるらしいとは聞いていた。

龍ヶ崎の街としてコロッケを名物として推し出してるらしく、その一環のようだ。
実際行って帰ってコロッケを食うならそれ用の切符もあり、往復500円+コロッケ購入200円引き付いて600円で売っていたので、ちゃんとお得になる構造になっている。

気付いて乗ってれば気が効くねえとでも言ってたのだろうが、常磐線からの乗り継ぎがキチキチで普通に往復運賃払っちまった。とはいえ買ったコロッケ200円以内だったので、まあセーフということで。








で、駅から少し離れたスーパーがコロッケマップ対象店だったので、そこでカレーコロッケを買った。
…コレだけなら何気ないのだが、製菓コーナーにあれほど探して無かった永谷園「モコモコ」を見つけた。神かここは?
再販当初東京23区、都内の端まで探しにいくも無かったのは一体なんだったのだろうかというほど呆気なかった。

竜ヶ崎の駅にもレンタル充電器あったし、やっぱこの街気が効くわ…

都営新宿線(本八幡〜新線新宿)
牛久で所要の後折り返し、柏と新松戸で乗り換え千葉を南下。野田線も未踏破なので迷ったが、もう日も暮れてたのであくまで周遊券重視で武蔵野線にそのまま乗車。
本八幡、都営新宿線へは駅ビルを抜け地下へ。


三田線といい、郊外の都営は日曜とは思えんくらいバカ空いててビビる。
東西線同様途中船堀付近で地上へ。
どちらもどうやら荒川河口付近で地盤が弱く地下に通せないが故の地上橋梁でパスする、という工事戦略らしい。
座席に関しては小川町を過ぎる頃には半分以上埋まってた。そういうものか。
ということで京王線に抜けこの日の乗り鉄稼業、終わり。
たまにくる遠征案件はちまちまと残る東関東の消化出来て良いもんですね。
さて、ぼちぼち次は都内の残骸をやっつけるとしますか…