時は戻り4月。
先に行った岐阜と共に、6月にもある「空白の1日」にどこに行くかに思いを馳せた。
10年もオタク稼業やってるとツアーの定番に組み込まれやすい名阪2都市はどうしても行く回数が増えて、流石に使える手数も減ってくる。
ともすれば、愛知の時の岐阜と同様に隣県に足を運ぶのは自然に思いついた。
そして閃く。高野山なのではと。
大阪隣県・和歌山は未踏の地であるのもちょうど良かった。
決行日。
ゆるやかなるスタートを切ろうかと思ったら、普段遅れない最寄り路線がが他路線の巻き添えで10分の遅れを持って動いており、早くも旅程崩壊の危機。
一応、手持ちの紙切符には後続列車自由席に限り乗車可能とあるが、珍しく新幹線乗る前にやきもきさせられた。勘弁してくれ…
結局乗り換え駅でバッファがあったのをが功を奏し、新幹線には間に合った。
Yahooの乗換案内だと乗り継ぎ時間の想定を指定できる機能があり、今回はこれに助けられる形となった。
新横浜、ホームで待っているとアナウンスが本数を増やして運転しているとのアナウンスが。GWはすさまじい本数を走らせていたらしいが、東海道新幹線が時期を問わず大動脈であるという事実を改めて感じた。
いやしかし、何度も乗ったはずなのにやはり新幹線の景色は楽しい。三河安城手前にセロテープの工場がロゴを壁一面に示しているのも、新幹線から清洲城が一瞬見えたり、新大阪手前に謎の南海の物流倉庫があるのも。全部初知りである。しかも新幹線なので気がついた時にはもう視界から消えている。こういうところにでも書かないと次乗ったときにたぶん忘れるので、こうして書いておく。
新大阪から乗った御堂筋線はあっさりと座れるほどには空いていた。
と同時に、名古屋で乗った東山線が改めて異常の域にあると気がつく。あそこがいつ来ようが乗車待機列が形成されてたのに比べればあまりにも月とスッポンであった。
心斎橋の宿に荷物を預け、一路難波へ。
千日前線で降りた難波の駅はそこまで人通りも多くはなかったが、絵画が飾られたなんばパークス下の通路を抜け御堂筋線の改札が見えると、雑踏が広がる知っているなんばの駅の景色へと変わった。
人並みを掻き分け、大きな発車標が迎えるのが南海難波駅だった。
高野山に向かうにあたりQRきっぷを買っており、どこにかざすかと思えば改札機の横に佇む機械がそれだった。
片道が¥1,790で往復となればこの倍なので¥3,580。QRだともうコレで元は取れており、これに各施設の割引優待券も付くのでお得である。
さていよいよ高野山へ…と思ったのだが、ここで乗ろうとした電車が既に出ていることに気付く。5分前ほどに出ていたらしい。今度こそ音を立てて崩れる行程。まあ致し方なし。後に続く電車を待つ間、ニラ玉そばをいただき腹ごしらえとした。
この先、急ごうと思えば特急もあったが、行きはあえて急行で向かうことにした。
電車待ってたらごっつい骨董品みたいな車両来た。これが現役なのか南海…
乗ったのは急行橋本行き。急行ともなればいろいろな駅に止まるので、そこに注目しながら乗っていると萩ノ茶屋に天下茶屋、随分と大層な名前がついているかと思えばこれはどうやら豊臣秀吉に由来するものらしい。
天下茶屋は豊臣秀吉が堺や住吉への途中立ち寄り、茶の湯を楽しんたところで、その名も殿下茶屋がなまったものという。 この茶屋には名水のほまれ高い泉があり、秀吉はこれに「恵の水」と名づけた。
大阪市:8 .天下茶屋(てんがちゃや)跡 (…>文化・スポーツ・生涯学習>生涯学習)
急行運転が終わる河内長野を過ぎるとそれまでの街並みが一気に途切れ、山並みが広がってきた。車内もポツポツと空席が目立ち始め、林間田園都市をすぎるころにはロングシート座席ひと区画にひとりいるからいないかという空き具合になった。
乗り換えの橋本駅で待つは2両編成の電車。いよいよ末端感がしてきた。
乗り継いだ電車は関西に見られる進行方向向きに2人がけ席が左右に並ぶクロスシートだった。流石に14時過ぎ、車内は発車間際になってもまばらにしか埋まらない程度だった。
観光向けからか、車内には路線図兼標高図のようなものがあった。
この図からもわかるように、列車は高野下といういかにもな駅から一気に坂を登り始める。
カーブしながら車両もうねりをあげながら高度を上げていく。関東の民には箱根登山鉄道に似たそれといえば伝わるだろうか。ただ車両のうねりが箱根以上だった。
どころか、箱根はまだ駅を降りたら何らか小洒落た店なりがあるが、ここにそれは無かった。
それでいてピークタイム外というのもあり電車はガラガラ。半分酔い潰れたように眠りこけるおっちゃんと俺くらいしかいなかったので、それもあって怖さすら感じながらの道中だった。
紀伊神谷駅という駅まで来ると、駅を囲む高台に竹だけが鬱蒼と生い茂り、来るところまで来たなと感じさせられた。
2両編成の終点・極楽橋の駅天井にはおしゃれなデザインが刻まれており、駅構内にはオシャレな手水置きと共に、100円で買える札を下げられるスペースがあった。
高野山への道はまだ続いており、この先300mを一気に駆け上るロープウェイが控えていた。
そして、見ればわかる急勾配が待ち構えていた。
高野山に着く頃には大阪市内で着ていた半袖1枚じゃ明らかにどうにもならないし、山の上で天気が大阪市内とは別物だった。曇ってるし…
高野山の駅に来るまで知らなかったのが、高野山駅と寺院が立ち並ぶ中心地というのはバスで10分ほど離れている。というわけで流れのままに4分後に出るバスで中心地へ向かった。
バス内、簡単な観光アナウンスも流れていたが、この高野山山内のお坊さんだけでも1000人居るというのだから宗教都市と呼ぶのは間違いないと感じる。
そして道中は山奥も山奥なので電波もまともに来ない。実に来るところまで来た感が凄い。(中心地はしっかり繋がりました)
千手院橋というバス停で降り、バスの向かう方向に徒歩10分ほど行くと金剛峯寺があった。
愛知・聚楽園の大仏見た時に現代の推し概念に近い発想で作ったのでは?という話をしたが、金剛峯寺にもこんな看板があった。
816年開業と由緒正しい歴史ある寺院もうまいこと現代に迎合しようとしているようだ…
境内、基本撮影禁止なので見た景色を共有できないのは惜しいが、屏風の描き込みは目を引くものがあった。
もう1つ訪れたのが金剛峯寺からさらに徒歩10分行ったところにある壇上伽羅。
名前だけではピンと来なくても、この巨塔でピンと来る方もいるかもしれない。
と、ここまで回ったところで雨も降り出しさらには店も寺院も軒並み17:00終了ということでゲームセット。どこも閉まるの早すぎないか…
帰りのバスを待っている間に表通りの店のシャッターは一斉に閉まり始め早々に店じまいされていた。
酒饅頭といもやき(だったはず)を食す。
大体最低限は回れた気がするが、多分あと1時間くらい早めに来てるといいのかなと思ったが、おおむね満足の高野山観光だった。一つ後悔が残るとすれば、行き帰りの電車の中吊り広告にあった高野山ヌードルを食い損ねたところだろうか…
南海が開発に関わっており、ちゃんと精進料理の線を外れないような調理方法になっているようだ…リベンジ…出来るだろうか。
さて、一通り巡ってなんばまで戻ってきたが、行く時の予報に無かった雨がしとしとと。あれ、なんか聞いていた話と違う…
予定通りなら観光船を旅行パックの優待で乗れるのでそう洒落込もうとしたが、そいつはスキップ。飲みに出ましょう。
目をつけたのが天満。でもただ行くんじゃつまらない。47都道府県制覇もそうですが、我が野望にはJR全線乗り潰しというこれまた面倒なのもあるので、ついでに敢行。JR難波の駅から新今宮で乗り換え、そのまま大阪環状線をほぼ半周して天満へ向かうことにした。
旅先は周囲の音すらエンターテイメントになる。難波の駅を歩けば飛び交う関西弁の会話、桜ノ宮の発車メロディは駅名をもじった大塚愛「さくらんぼ」の一節。単純明快で良い。
さて、天満。Xにてインバウンド客があまり訪れない日本人街がある!とのバズリを見つけ、目をつけていた。本当に飲み屋が多かった。が、ちゃんとそれに応える人出でまあどこも満員だった。
ただ妥協で入った75分入れ替え制の店も、なんだかんだで予算4000円を下回りターンエンド。満足度高いぞこの街…
帰り際には…
店の方「これからまだ繰り出すんです?」
ぼく「いやもうホテル戻ろうかなと」
店の方「まだこれからじゃないですか~」
ハシゴ飲み前提、まあこれだけ安ければそうなるよね…(笑)
満足感に包まれながら宿へ戻るのだった。
さて、次はまた本命のイベントの話を振り返ることにしましょう。